わが国の商業写真の開祖と言われている下田出身の下岡蓮杖

        は幕末開国時に苦労を重ねて写真技術を取得した人物です


       
蓮杖は西(長崎)の上野彦馬、東の下岡蓮杖と称されます。

        わが国の写真術の草分け的な存在です。幼名は桜田久野助で

文政6年に下田中原町(現在の二丁目)に生まれた。蓮根の杖をいつも愛用し

ていた事から、後に蓮杖と号します。

当初は画家を志して江戸に出て、幕府の御用絵師だった狩野董川に学んだが、

銀板写真に出会って衝撃を受け、写真技術の習得のため米人に接触しようと浦

賀奉行所の足軽になったほか、故郷の下田が開港された事を知り、玉泉寺に設

けられたアメリカ領事館に雇われ、幼なじみ「お吉」や「お福」を通して ハリ

ス に頼み込み通訳のヒュースケンに写真の基礎を学んだ。

後に横浜に出て、英国人の職業写真家J・ウイルソンに写真機材を譲り受け苦

労を重ねて技術を会得した。


 
写真を志して、18年の月日が流れ1861年(文久元年)に横浜市中区野毛

町に小さな写真館「全楽堂」を開業。最初は客足がなかった写真館も根っから

のアイデアマンだった蓮杖は外国人に着物を着せたり、絵師の腕を生かして日

本の景勝地の背景画を書いたりして、外国人の心をつかみ店は大繁盛し翌年に

は、弁天通りに店を移転させた。

このほか石版印刷、喫茶店、ビリヤード、牛乳製造、馬車屋などの文明開化の

時代に最先端の事業を興したが、しかし一時は降盛を極めた諸事業も陰りをみ

せ始め16年間の横浜生活の後に53歳で東京浅草に移り住んで油絵茶屋などを

開き電車の模型を作ったり、蒸気機関車の模型や音を出すアドバルーンなどの

話を読売新聞(明治11年)に書いたりするなど世間をにぎわした。

 晩年、写真館の背景画を専門に書くなどして大正3年、92歳で波乱万丈の生

涯に終止符を。


下田公園内の蓮杖台には蓮杖記念碑が、建立せれています。 
下岡蓮杖 記念碑

*寝姿山自然公園の「蓮杖写真記念館」には、下岡蓮杖の遺品の数々が展示さ

れています。


下岡蓮杖 下岡蓮杖「写真伝来下岡蓮杖」 写真家 藤倉忠明



                    
                    


下岡蓮杖
- 商業写真開祖 下田あり -
   
下岡蓮杖(1823年〜1914年)